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2008年04月12日

ARTES*Web連載スタート!

アルテスのウェブサイトでは、自社刊行物の情報とさまざまな音楽情報をお伝えしてきましたが、このほど「ARTES*Web連載」のページが開設。念願のオリジナル・コンテンツを発信することができるようになりました。

記念すべき連載第1弾は作曲家・指揮者で東京藝術大学作曲科准教授の小鍛冶邦隆さんによる「音楽・知のメモリア」です。「作曲となにか」という問いをバッハ以降の音楽史に照応させて論じる野心的な試みで、その問いはしだいに「音楽とはなにか」「音楽家として生きるとはどういうことか」といった現実的で切実な問いへと発展していきます(小鍛冶さんいわく「『音楽の下流志向』といった内容の連載になるかもしれません!」とのこと)。

第1回は「セバスティアン・コード(1)」。バッハにおける「作曲」とはなにか、それはそれ以後の音楽における「作曲」とどのように異なるのか。どうぞお楽しみください!

[木村]

2008年06月06日

小鍛冶邦隆さんの連載、第3回アップしました

小鍛冶邦隆さんがアルテスのウェブサイトで連載中の「音楽・知のメモリア」。第3回がアップされています。
http://www.artespublishing.com/serial/kokaji/index.html

今回はバッハの最終回。「セバスティアン・コード」とはなにか。音律と調律のひずみはなにをもたらすのか──。

バッハの音楽的知の冒険にせまります。

[木村]

2008年07月12日

連載「音楽・知のメモリア」第4回を更新

小鍛冶邦隆さんの連載「音楽・知のメモリア」。第4回は「ア・ヴォルフガング・クライシス」と題して、モーツァルトの実像に迫ります。

バッハの時代に準備された社会構造が、平均律という「音響学的な暴挙」を導き(おそらく絶対王政の確立とパラレルなものとして)、モーツァルトの鋭敏な聴覚とその構造化された音律との間の軋みが、近代人としての内面の危機を表出する──小林秀雄以来の情緒的なモーツァルト理解を根底から更新する、画期的なモーツァルト論ではないでしょうか。

[木村]

2008年07月27日

連載「音楽・知のメモリア」第5回を更新

小鍛冶邦隆さんの連載「音楽・知のメモリア」の第5回。タイトルは「テロリスト・ルードヴィッヒ」!

モーツァルトにおいて、音響的な軋みとして現出した近代的個人の内面の危機──「疾走する悲しみ」ではなく「迷走するオブセッション(強迫観念)」──が、ベートーヴェンにおいては、近代的主体を形式として内面化・構造化することにより、規律としての「聴く」という制度が出現します。「もはや技法とは乖離した管弦楽的音響性の暴力」──ベートーヴェン音楽の見方が根本から変わる刺激的な音楽論です。

[木村]

2008年09月07日

「音楽・知のメモリア」、第6回はシューベルトとチャイコフスキー

小鍛冶邦隆さんによるウェブ連載「音楽・知のメモリア」は執筆快調! 第6回は「悔悟する2人のペテロ」と題して、シューベルト《未完成》とチャイコフスキー《悲愴》という2つの交響曲を題材に、ロマン主義における悲劇性の本質をえぐっていきます。

「歴史的キリスト教社会と近代市民社会における、個人の在りかとしての「告白」という演技性が、表現する主体の根拠となる」という指摘は、文明論としてもたいへん刺激的です。

[木村]

2008年10月06日

「音楽・知のメモリア」、第7回はドビュッシー

小鍛冶邦隆さんのWeb連載「音楽・知のメモリア」、第7回がアップされました。

今回の主人公はドビュッシー。彼が夢みた音楽とは、旧来、聴き手の音楽的理解の自由を保障し担保してきた、文化的慣習としての「音楽形式」のありかたを更新するものでした。1950年代の電子音楽にもつながる、ドビュッシーの革新性のありかを明らかにします。

[木村]

2009年01月09日

小鍛冶邦隆さんがメシアンについて講演します

アルテスのウェブサイトで「音楽・知のメモリア」を好評連載中の作曲家・小鍛冶邦隆さんが1/26(月)、日仏会館にてメシアン生誕100年記念講演をおこないます。

小鍛冶さんとともに出演し、メシアンとブーレーズのピアノ曲を演奏する奥田ななみさんは現在中学2年生。小学6年生のときに第17回「朝日現代音楽賞」・第7回現代音楽コンクール“競楽Ⅶ”に入選、聴衆賞を受賞した話題の逸材です。

詳細は以下をご覧ください。

【日仏会館レクチャー・コンサート】オリヴィエ・メシアン生誕100年「オリヴィエ・メシアンと戦後前衛音楽」

[木村]

2009年02月25日

小鍛冶邦隆「音楽・知のメモリア」第9回をアップ!

ラヴェルをテーマにした第8回「モーリス! 不能の愛」から少し間があきましたが、待望の第9回がアップされました。

小鍛冶邦隆「音楽・知のメモリア」
http://www.artespublishing.com/serial/kokaji/index.html

今回は「メシアン、あるいは「知の継承(Le savoir transmis)」をめぐって」と題し、20世紀フランス作曲界の「慈父」こと、オリヴィエ・メシアンが主人公。メシアンにとって作曲と分析とが分かちがたく結びついていたこと、シュトックハウゼンやブーレーズといった弟子たちに伝えようとした「音楽の知」とはなにか、そしてその背景となったパリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)の教育システムの変遷など、これまで語られることのなかったメシアン像、フランス現代音楽の真実が明かされます(個人的には「ラヴェル事件とフォーレの陰謀」という部分にも、関心をそそられています)。

なお、小鍛冶さんの著書『作曲の技法』(音楽之友社)がこのほど第5刷となったとのこと。こうした本格的な音楽理論書が着実に読者を得ていることをたいへん心強く思います。また、既報のとおり、来る4/16(木)、東京藝術大学奏楽堂でおこなわれる「創造の杜’09」にて、小鍛冶さんの新作、オーケストラのための《ドゥーブル・レゾナンスⅢ》が初演されます。連載第8回を脱稿後、作曲に専念されていた作品です。みなさんもこの機会に小鍛冶さんの音楽世界にふれてみてはいかがでしょうか?

ちなみに、演奏会の予習用にはこちらのCDがお薦めです^^

ドゥブル-レゾナンス 小鍛冶邦隆作品集(Amazon.co.jp)

[木村]

2009年04月02日

「音楽・知のメモリア」第10回

小鍛冶邦隆さんのウェブ連載「音楽・知のメモリア」の第10回がアップされています。
http://www.artespublishing.com/serial/kokaji/index10.html

前回まで、バッハからメシアンまでの西洋音楽の作曲家たちの創作をたどることにより、「作曲」というかたちで、音楽における「知の継承」が続けられてきたさまが明らかになりました。今回からはいよいよ舞台を日本に移し、「現代音楽」のはらむさまざまな問題点をあぶりだしていきます。

[木村]

2009年05月03日

「音楽・知のメモリア」、第11回をアップ

小鍛冶邦隆さんの連載「音楽・知のメモリア」。第11回がアップされています。前回(第10回)から始まった現代日本の作曲をめぐる考察。今回は武満徹と三善晃という戦後現代音楽の二大巨頭による《レクイエム》をめぐって、それぞれの「ヨーロッパの伝統的な文化=音楽」との葛藤を描きます。

[木村]

2009年05月24日

「音楽・知のメモリア」、連載完結!

小鍛冶邦隆さんのウェブ連載「音楽・知のメモリア」がついに完結しました!

◎音楽・知のメモリア 第12回
http://www.artespublishing.com/serial/kokaji/index12.html

今回は伊福部昭、松村禎三、西村朗における管弦楽法を音楽におけるテクノロジーとして、また汎アジア主義を歴史性を捨象したポップ・カルチャーとの関連で再考します。知の記憶としての音楽が、わが国にもたらしたものはなんだったのでしょうか──。

なお、この連載は近い将来、アルテスパブリッシングより単行本として発売予定です。単行本化にあたっては、新しく武満徹論を加え、対談コーナーももうけて、「知としての音楽」というテーマにさまざまな方向から光をあてることになっています。ご期待ください。

[木村]

2010年10月04日

10月26日発売予定! 作曲の思想──音楽・知のメモリア(小鍛冶邦隆著)


隠された〈知の系譜〉を求めて──

バッハからメシアン、
そして戦後日本の現代音楽まで──
作曲家たちが継承してきた〈記憶(メモリア)〉とは?

音楽学者・沼野雄司氏との対談を収録!


四六判・並製・180頁
定価:本体2200円+税
発売:2010年10月26日
ISBN978-4-903951-36-2 C1073
装丁:菊池周二


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