◎連載
第5回 楽しい音楽

反ヒューマニズム音楽論 (若尾裕)

 西洋音楽という管理化された音楽から生じたもののひとつが、「楽しい音楽」という思想である。人は音楽を好んでおこなうが、それをすべて「楽しい音楽」とよぶのはどうみても適当ではない。だが、誰にとっても「楽しい音楽」というものが、ほんとうにあるかのごとく語られ、「長調でリズム的に軽快な音楽」として類型化されたりしている。
 初期の音楽心理学では、こういった音楽と情動のつながりを一種普遍化してとらえ、「人は長調で軽快なリズムを、明るく楽しいと感じる」といった説に定式化する傾向があった。もちろんそれは西洋音楽が普遍的であるとする世界観におおいに依っているのであるが、楽しい音楽の思想がなりたったのちに、その影響下で音楽心理学が発展したからでもある(さすがに最近ではそういった傾向への反省から、スキーマ理論などを援用して、音楽の情動も、繰り返して刷りこまれることによってなりたつという見解にかたむいてきているのだが)。
 言葉の問題もあるのかもしれない。私にとっては「音楽をすることは楽しい」と言葉にできるのだが、それは一般的に悲しい音楽といわれている音楽(たとえば葬送行進曲)を弾くときでも楽しい、ということだ。この場合の「楽しい」は、興味がある、刺激的である、おもしろい、という意味に近い。明るく、高揚した気分をさす「楽しい」と、よく混同されて使われる。「楽しい音楽」というときの意味はいうまでもなく後者のほうである。
 また、どんな音楽にも喜怒哀楽の指標があてはまるわけではない。たとえば、バリ島のケチャは楽しい音楽なのだろうか、それとも悲しい音楽なのだろうかと考えても、それは無意味な問いである。バリ島人に訊いても質問の意味からしてわからないにちがいない。もちろん、バリ島のケチャには、前述したような刺激的、おもしろいという意味での楽しさはあるが、後者の意味はあるように思えない。
 ならば「楽しい音楽」は、西洋音楽に特有のものということになる。では昔からこの思想があったのかというと、少なくともグレゴリオ聖歌などの旋法音楽では、楽しいか悲しいかを問うてもあまり意味はなさそうである。音楽で楽しさ、悲しさの表現を意識するようになったのは、平均律と三和音が使われるようになったもう少しあとのことのようだ。
 そして、いつしか「楽しい音楽」は、動物行動学でいうようなリリーサー(自動的に固有の反応を引き起こす信号刺激)のように人にはたらき、人を明るく楽しく幸せな気分にするという信仰のようなものができあがった。ここから出現したのはミューザックやBGMのような、チアフルな音楽群である。こういった音楽ジャンルや考え方はいまではやや廃れ、初期に考えられたような工場などでの生産性向上のための音楽再生はほぼなされなくなったものの、「楽しい音楽」はいかなる人も楽しくさせる、という思想だけはそのまま残り、街を歩くとこのたぐいの音楽を無差別に浴びせかけられることとなる。
 もちろんこういった現象に対し、サウンドスケープ論のような批判的立場が生まれ、それがあるていど認められてはきている。ただ、マリー・シェイファーのサウンドスケープ論の問題点は、ものごとをあまりにも単純に音響と人間のかかわりでとらえすぎているところだ。都市の音環境が劣化したのは、現代人の耳が劣化したから(だけ)ではない。もっとも重要なことは、音文化の中心的位置にある音楽にかんする感性が変化したことだ。
 この「楽しい音楽」思想が現代社会の音楽状況全体に大きく影響力をもってしまい、音楽教育や音楽療法の土台にも忍びこんでしまっていることは、驚くほど見過ごされているのだが、これについては、また別に論じることにしたい。
 「楽しい音楽」の思想と、クラシック音楽とポピュラー音楽という対立項の発生は並行している。クラシック音楽にはじつは辛気くさい音楽も多くあり、それを一括して「楽しい音楽」というには無理があるからである。そこからポピュラー音楽=快楽、クラシック音楽=教養という対立項のようなものがあらわれはじめ、さらにそこから大衆性-芸術性という対立の図式が成立する。アドルノ以後、現在の音楽状況は多くこの二項対立のなかで語られるようになり、この解決こそが現代の音楽文化の課題としばしば考えられるようになった。ものわかりのよいクラシック音楽の啓蒙的活動や、逆に芸術性を意識したと思われるやや高級そうなポップスなどが試みられるようになるのだが、このいずれもが「楽しい音楽」思想から生じているものだ。
 こういったときに音楽家が使うのが、音楽はむずかしいものではない、虚心に聴けば誰でもわかるものである、音楽を愛することは人生を豊かにする等々の言説であるが、これこそまさにこの連載で問題にしようとしている音楽ヒューマニズムという思想の核心と密に接したものだ。アドルノのように、音楽にはむずかしくレヴェルの高いものもあり、その理解には一定以上の修行やトレーニングを要するなどといえば、すぐさまエリート主義的と批判されることになるが、少なくともアドルノは正直であることはまちがいない。しかしこのような態度は、大衆性-芸術性の二項対立の解消という時代の大命題(つまり「楽しい音楽」という管理思想のヴァリエーション)に逆らうことになるので、社会的には反逆者かすね者と位置づけられよう。音楽の世界で生活をするには、とにかく現存の音楽を肯定する態度を示し、いまの音楽文化に課された生政治的管理性に従順さを示す必要があるということである。アドルノは批判の哲学をつらぬきとおしたので、学者としてはともかく、ジャーナリズムにおいては成功しなかった。音楽業界があのような辛気くさい評論をのぞまないのは、守るべきコードが存在するからにほかならない。
 たとえば、吉田秀和のような評論家が、演奏家や作曲家たち以上に、かくも大きな影響力をもつにいたった経緯は、19世紀半ばから始まったドイツ教養主義を起点とするものだろう。そこでは、以前にとりあげたクレイマーの指摘のように、西洋芸術音楽は音としてのみではなく、そこに付加された言葉(情動の意味するもの)と一体化して成立するものになっていった。やがて付加されるディスクールが音以上の重要度をもちはじめると、そのディスクールを作りあげ、更新する立場が必要になる。それが音楽評論である。
 あるときは多数派のぬるま湯的状況に鋭い批判を投げかけ、必要な場合は果敢にもなまいきな若僧作曲家を擁護したりもするが、じつはこのようなディスクールの重層化によって実現されていったのは、音楽についての隠された規制コードであり、その重要なもののひとつが大衆性-芸術性にかかわるコードなのである。
 重要なことは、この対立が19世紀後半から西洋音楽に生じはじめた矛盾から始まったということである。それは芸術音楽と大衆音楽の分離の顕在化という、ちょっとやっかいな現象である。なぜならこの断層は、芸術音楽のめざしてきた音楽の自律性や絶対音楽という一神教化した音楽思想にとって、きわめて都合のわるいものだからだ。ここに生じてきたのが、大衆性-芸術性の対立の克服という、いっけん弁証法のような体裁をまとった新たな課題なのである。だが、考えてみればわかるように、これは近代西洋芸術音楽がその出発点から抱えこんできた根深い問題であり、個々の音楽家のいかなる努力によっても解消できるものではない。にもかかわらず、この問題を音楽家の側にひたすら押しつけているのは、西洋芸術音楽の勝手な都合によるものとしかいいようがない。さらに注意すべきことは、この二項対立こそが西洋近代音楽というイデオロギーを延命させるためのひとつの安全装置としてはたらいていることである。音楽家やその他の人びとが、この2項を結ぶ線上で踊っているあいだは少なくとも、西洋芸術音楽というイデオロギーは細々とながら生きながらえることができるというわけだ。
 すでにこういった状況に倦怠する、ある意味で健康な感性は多く育ちつつあるようだ。課題を見あやまってはならない。必要なことは、大衆性-芸術性の対立の解決などではなく、そのまやかしの二項対立からいかに脱出するかなのだ。

Artes * Web連載 TOP | アルテスパブリッシング TOP