◎連載
第3回 近代西洋音楽と生政治

反ヒューマニズム音楽論 (若尾裕)

 ベートーヴェンに代表されるような、モラルとかかわるものとしての音楽は、その後、他愛もない遊びのようなロココ様式のモーツァルトの音楽にも拡大され、天真爛漫な子どものような純粋さとして、モラルのストーリーのなかに位置づけられる。バッハの場合はどうだったか? 1820年代から始まったバッハの復活演奏が、その当時の人びとには、じつのところ、ただただわけのわからないお堅い音楽に聞こえたのは無理からぬことだ。なので、なにやらわからないけれど偉い音楽という地位があたえられ、崇高さや宗教性や深さとともに語られるようになった。これは基本的にいまも変わっていない。その後、バッハの音楽は長い時間をかけてロマン派的心性に近づけるべく工夫されヒューマナイズされ、今のような演奏スタイルになっていった。
 こういった動きには19世紀のドイツ教養主義の影響がおおいにかかわっているし、またこんにちにいたるまでのドイツ音楽優位の思潮もこのあたりで作られていったようなのだが、これについてはほかでも少しずつ議論されはじめられているのでスキップすることにし、ここでは次のような生政治(第2回を参照)にとくにかかわる側面についてのみ注目しておきたい。
 ドイツ音楽にたいしてドイツ人が特別な意識をもつようになるのは、19世紀の半ばあたりのことだが、やがて20世紀になり、1938年には第三帝国の宣伝相、ヨーゼフ・ゲッペルスが大規模な音楽集会において、音楽こそがドイツの輝かしい遺産であると高々と国民に宣言するにいたるまでになる。
 音楽学という学問の基礎が形成されていったのは、そういった第一次世界大戦後のワイマール期からナチス・ドイツの時代にかけてだった。比較音楽学とよばれる今の民族音楽学のもとになった学問分野もこの時期に作られる。もちろん、ここでいう「比較」とは、さまざまな世界の音楽を比較するということなのだろうが、真意は「西洋音楽」と「非西洋音楽」の比較にある。
 こういった動きのなかで、さらにドイツ音楽がドイツらしいといわれる、その所以についての研究がなされたりもしている。たとえば、フリッツ・メッツナーはドイツ民族音楽の音感が明確に長調と三和音であるのに対し、北欧の民謡は短調や教会音階や半音階に傾く理由を、なんと頭蓋骨の形に求め、短頭蓋骨系であるドイツ人は長調系、長頭蓋骨系である北欧人は短調系、という理論で説明を試みている。ほかの短頭蓋骨系のモンゴロイド族が5音音階と長3和音的メロディをもつことが例証としてあげられ、いっぽうペルシャ人、インド人、アラビア人が北欧の長頭蓋骨系と共通する例としてあげられている。笑い話ではなく、これは1938年に提出された博士論文なのである。もちろんのことだが、いままでのところこの説を裏づけるような研究は見あたらない。アーリア人という人種の優秀さとドイツ音楽の優越性を結びつけることが求められた、この時代の特殊な事例ということになるだろう。
 しかし、異常な時代ゆえと片づけてしまえる問題でもない。よく似た発想がじつはわれわれの時代にもまだ残っていることをここで指摘しておくべきだろう。たとえば、日本のクラシック音楽の世界でひんぱんに聞かれる、日本人の歌声がイタリア人のベル・カントのようにならないのは、骨格や体格などが異なるからである、というような言説である。まことしやかに聞こえるが、いままでに誰かがほんとうに解剖学的で科学的な研究をしたという話は聞いたことがない(考えただけでうんざりするが、じつは私が知らないだけで実際にはあるのかもしれない)。同様の発想は、あらゆる面においての日本人とヨーロッパ人の音楽上の差異について語られるときにしばしば使われるが、もちろん日本のみにかぎったことではあるまい。文化が異なれば、その差異はもちろん音楽の上にも表れてとうぜんであるが、人種主義にまで至るところになにやら問題を感じる。
 ポピュラー音楽がなりたっていったのも、そういった音楽学の黎明期である20世紀前半のことで、これには放送や録音といったメディアの発展がおおいにかかわっている。ポピュラー音楽は、オペレッタやミュージカルのようなクラシック音楽と大衆音楽の中間にある音楽や、映画で歌われた歌や民衆のはやり歌のようなものを吸収しながら発展し、1950年代には今のようなポップ・ソングのスタンダードな形ができ、その後アフロ=アメリカン音楽のノリ(現在の8ビートのポップ・ロック)を加味してグローバル化されてゆく。1曲が4、5分で終わるのは、当時のSP盤やドーナツ盤などメディアの収録時間の都合によるものである。連続で1時間はゆうに入るCDの時代になっても、なぜかこのスタンダードは変わらない。
 ドイツの社会学者、アドルノはポピュラー音楽は芸術性や精神性に欠けるという観点から、それを低い位置においたが、ポピュラー音楽のアドヴァンテージはまさに、芸術性や精神性のようなドイツ音楽的大義から解放され自由になったことにほかならない。それにせいせいしたように、その後ポピュラー音楽はクラシックとはくらべものにならないほど大きな市場を獲得してゆくことになるが、それを可能にしたのは、杜こなてが指摘するように、その大義を現代音楽に背負わせることができたからだろう。
 芸術性や精神性に代わってポピュラー音楽が背負わされたのは、短時間内に情動を供給するという役割である。考えてみればこれもやっかいな仕事ではある。数分で人の情動を効率よくつかむようなキャッチーな言葉と音が求められるのだから。それゆえ、どんなに労作であってもヒットするかどうかは運にかけるしかないし、1曲の寿命も長くない。
 芸術性という大義においては、クラシック音楽とポピュラー音楽とではおおいに性格を異にするが、音楽技法の点では現代音楽にくらべればずっと共通性がある。どちらも調性と三和音による和声、そしてそれによる情動操作に依存しているので、ちょうどそこから逸脱していくところだった現代音楽は、芸術性というやっかいな役割を押しつけるには好都合な存在だったにちがいない。現代音楽の側も、さほど聴衆を獲得できない音楽の大義をなりたたせるには芸術性というマジックに頼るしかない。まるで聴衆からの支持のなかったシェーンベルクの音楽を、『新音楽の哲学』を書いたアドルノだけでなく、意外に多くのドイツの批評家がもちあげたのは、芸術性というものへの彼らのひとかたならぬ固着ゆえであろう。
 ポピュラー音楽が現在使っている和声技法は、基本的にロマン派の音楽によって開発されたものであるが、のちにコード進行の技法へと単純化され、バークリー・メソッドのように一種の普遍原理のような体裁にまでまとめあげられるようになってゆく。
 ロマン派音楽とポピュラー音楽の和声進行でやや異なるのは、クラシック音楽ではメロディとバスの関係に微かに残っていた対位法のなごりが、ポピュラー音楽ではほとんど消滅し、1小節1和音のように和音の進行が拍節とシンクロし、より単純化したことだろう。その結果、コード進行による情動の類型的表現が発展する。とうぜんこの類型により、似かよった曲が大量に作られてゆくことになる。
 この類型にはそれほど多くのヴァリエーションはないので、目の前に並べられた音楽という商品のなかから好きなものを選ぶというスタイルが、人びとの音楽行動として確立されてゆく。この現象をどのようにとらえるかは立場によって変わるだろうが、現在の音楽社会学の重要な課題であることはまちがいない。人びとが音楽から得たいと願っている共感と供給される音楽の情動とのあいだのずれを個人的に調整する過程によって、この音楽行動がなりたっていることも確かだ。そしてこのずれの調整は、うたとこころの関係に微妙な関係をおよぼしている。歌はわたしの心を代弁してくれるいっぽうで、楽しいとか悲しいとかの気分がどのようなものかをわたしに教えてもくれる。つまり、ポピュラー音楽は人の情動を社会的に管理するための一種のツールになってきているとも考えられるのである。
 ポピュラー音楽のビジネス市場はまだ巨大であることには変わりはないが、昔のようなヒット作が徐々に減少し、若者もCDや音楽にさほどお金を使わなくなってきているのは、そろそろ数十年間使用されてきたポピュラー音楽という装置も終焉に向かいはじめたことを表しているのかもしれない。
 上記のような民族アイデンティティや情動の管理の問題は、人の生にかんする社会による制御という意味で、生政治的な現象と考えるしかない。確認しておきたいことは、近代西洋音楽というイデオロギーのなかに、上記のような生政治的な側面が最初からそなわっていたということであり、それが姿を変えながらさまざまに表れていることである。それはなぜかということについてはまだ多くの検討を必要とするだろうが、ひとつにはマックス・ウェーバーが指摘したように、近代西洋音楽が合理性という道具的理性によって突き動かされてきたことがあげられる。啓蒙や合理性が一種の暴力性をもちうることは、アドルノとホルクハイマーの指摘やアウシュヴィッツの悲劇をもちだすまでもなく、もういまでは誰もが空気のなかに感じていることにちがいない。

[参考文献]
 石井宏:『反音楽史』、新潮社、2004
 Potter, Pamera M.: Most German of the Arts, Yale University, 1998
 杜こなて:『チャップリンと音楽狂時代』、春秋社、1995

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