◎連載
第2回 クラシック音楽という生政治

反ヒューマニズム音楽論 (若尾裕)

 1802年、ベートーヴェンは楽譜にみずから「まるで幻想曲のようなソナタ(Sonata quasi una Fantasia)」と記して、2曲のソナタを発表した。このうちの2曲目が、のちにベートーヴェン最大のヒット作のひとつ《ムーンライト・ソナタ(月光ソナタ)》となる。
 アメリカの新音楽学の旗手のひとり、ローレンス・クレイマー(Lawrence Kramer)は、『音楽の意味』(Musical Meaning, University of California, 2002)のなかで、この曲がどのような意味づけの過程をたどったのかについての考察を試みている。  誰もが知るように、この曲についてはさまざまな伝説があるが、それらは現在ではすでに、まともに顧慮されてはいないと考えていいだろう。だが、クレイマーの考察は、これまでの伝説の常識を越えた《ムーンライト》のポスト・モダン的解読としてたいへん興味深いものである。
 まず、この作品27の2曲は、当時としては思い切ったコンセプトを打ち出した実験作であった。27-1(ソナタの番号では第13番)も27-2(同第14番)も、のっけから、ソナタの定番であるアレグロで始まっていない。とくに27-1のほうは、切れ切れの断片がつながってゆく、のちのシューマンのような作り方であり、当時からみればかなり大胆といわねばならない。
 問題の27-2のほうであるが、ベートーヴェン自身とその時代の人々にとっては、このソナタの主眼はまずは激しく速い第3楽章にあったようだ。静かで動きのないアダージョから始まり、かわいいアレグレットをはさんで、終章でいっきに怒濤のクライマックスを迎えるという仕掛けで、その直線的で単純でちょっとパンクな感じがベートーヴェンらしい。いずれにしても、作曲家自身にとっても、その時代の聴者にとっても、勝負は第3楽章だったことは当時の評論などからも明らかのようだ。
 この曲の第1楽章のみが切り離されて、リラクゼイション・ミュージックとして別格の地位を獲得するまでには、じつは複雑な過程がある。まず、焦点が第3楽章から第1楽章へと移され、あのC♯マイナー・コードの3連符に「崇高さ」のような概念が植えつけられる。
 次いで、その崇高な音楽に、悲しさやメランコリックな情動が付加される。ベートーヴェン自身の悲恋のお話や、詩人のレルシュタープが1832年に書いた月光とスイスの湖のイメージが付け加えられるのもベートーヴェンの死後のことだ。しかし、クレイマーによるとこのレルシュタープのイメージは、当時の画家、カスパール・フリードリヒの描くようなむしろ寒々とした光景であったそうで、いま普通に思い描かれるようなイメージはその次の、ノクターン的性格が付け加わった段階のものである。
 そしてそのまた次の段階として、そのパストラール(田園的)な《ムーンライト》のイメージに、こんどは性愛の要素が付け加えられるようになる。クレイマーはそれを、「ピアノにおける性愛の誕生」とよんでいる。当時、ブルジョワ家庭の居間に置かれたピアノはたんなる楽器ではなく、恋愛や結婚生活など性愛にかかわる象徴的意味をもったのである。この時代、ほの暗い部屋でピアノを弾く女性とそれを聴く男性といった、ピアノを大道具とした19世紀的なロマンティック・ラヴを暗示する絵が描かれたり、《ムーンライト》を小道具にしたトルストイの『結婚の幸福』のように、ブルジョワ家庭における結婚とその波乱を描いた小説が書かれたりする。共演するヴァイオリニストと妻の関係を邪推し、嫉妬に燃え、ついには妻を刺殺してしまう有名な《クロイツェル・ソナタ》もこの流れのひとつととらえるべきものだ。
 この19世紀に発生した「エロティックな意味を発生するメディアとしてのピアノ」という概念は、なにとはなしにわが国においては音大文化のなかに温存されているような感じはあるものの、いまではこのC♯マイナー・コードの3連符からは、崇高さも悲恋の話も洗い流され、リラクゼイションやヒーリングの音楽の定番として、また新たな役割が与えられている。
 この過程をみると、いかに人々が音楽にたいして恣意的に意味を貼り付けてきたかがわかる。《ムーンライト》のたどった数奇な運命は、見ようによってはなにかの気まぐれの結果のようであり、あるいはこのような言説がなかったら、この27-2は中期のぱっとしないソナタのひとつという評価に落ち着いていた可能性もとても高そうだ。
 ついでながら、日本の戦前の修身の教科書に載せられていたエピソードを紹介しよう。月明かりの街をベートーヴェンが歩いていると、ピアノの音が聞こえてくる。ふと見ると盲目の少女がピアノを弾いていた。ベートーヴェンはそれに心を動かされ、そのピアノで即興演奏を少女に聴かせ、さらに一目散に家に帰って一気呵成に書き上げたのが《ムーンライト・ソナタ》である、というお話である。これについて團伊玖磨氏が指摘していたことだが、月夜の晩にベートーヴェンがどうにかして人の家に入りこみ、月明かりのなかピアノを弾いている少女が盲目であることを瞬時に判断するなど、どうにも状況に不審さがめだつので、これは誰かの作り話だろうということになっている。前述の《ムーンライト》言説から性愛が払拭され、「耳なし芳一」や「一杯のかけそば」のような話がいっしょくたになった感じがなんだか和製っぽい。ところで、私にとっていまだ謎なのは、このお話で為政者は日本国民にいったい何を教えようとしたか、ということである。
 クレイマーはこの例から、クラシック音楽というものがいかに言説の上になりたってきたものであるかということを論じようとしている。クラシック音楽とは、音楽というテキストにさまざまなディスクールが貼り付けられたものであるというのが彼の主張なのだ。
 私はさらにここに、音楽がなんらかの人の生き方をさし示すものとなっていったこの時代の動きも感じとる。モーツァルト時代ぐらいまでは、音楽はなかば他愛もない遊びであったのだが、その後音楽はどんどん道徳や倫理などを包含するようになり、私の言葉でいえば「正しい音楽」がさまざまに発展していくことになるのである。それはたんなるC♯マイナー・コードの3連符に、さまざまな市民的良識的感性を貼り付けていった過程ととらえてみれば、この動きをいわゆる生政治的な音楽感性の管理の成立過程とみることにさほど無理はない(註)
 ベートーヴェンはその音楽とともに、生前から正しい道徳を標榜する人として祭り上げられてゆき、晩年にはみずからもその気になって第9交響曲を書いてしまうにいたった。指揮者の岩城宏之氏が最晩年、この曲について、第3楽章の美しさはたとえようもなくすばらしいが、第4楽章の馬鹿馬鹿しさはどうしようもない、と述べていたことを思い出す。9.11以後のいまの時代となっては、高らかなる「人類みな兄弟」の歌声は、まだそのような楽観がゆるされていた過去の時代のものとしてしか、受け取る者はいないだろう。
 ベートーヴェン以後、クラシック音楽は正しい生き方とつねに重なるものとなっていき、教育や音楽療法のバックボーンとして位置づけられるようになる。沈静したりリラックスしたりするときにも、ある種のクラシック音楽が重用されるが、それはその音響の特性のゆえのみではなく、その背後の思想性もおおいにあずかっており、常識的に考えられているように、偉大な人類の芸術遺産と考えられたからだけではない。人をして正しい生き方に律するための正しい音楽だったからなのである。

註 生政治とはミシェル・フーコーが提唱した概念で、近代以後の人々の管理装置として働く、目に見えない政治権力の働きのことである。その考えはさらにジョルジュ・アガンベンやアントニオ・ネグリらに引き継がれ、現代社会を読み解く重要なキータームとなってきている。私の知るかぎり、西洋音楽の生政治性の最初の指摘は平井玄によるものであるが(「ドゥルーズ/サイード」、小泉義之他編『ドゥルーズ/ガタリの現在』平凡社、658頁)、人間の正しい生き方と音楽を重ねてとらえる考え方はプラトンの音楽論(エートス論)以来、西洋音楽では昔から続いているものともいえよう。

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