◎連載
第1回 深く音楽をする(1)

反ヒューマニズム音楽論 (若尾裕)

 「深く音楽をする」ということを考えてみたい。

 哲学を例にとって考えてみよう。哲学とはある意味、考えるという行為をどこまで精密にするかといういとなみだともいえるだろう。われわれはみな考えるが、そのたいていの部分において、決められた手順のなかでその行為をおこなっている。そして、考えるという行為の大部分を、この手順に含まれるシステムが司っている。しかし、思考を精密にする──哲学する──なら、そのシステムそのものを検討せざるをえなくなる。
 音楽するという行為も同じであるように思える。われわれはみな音楽をする。それがJポップであろうと現代音楽であろうと、どんな音楽であろうとその音楽を共有するために前提とされているルールがある。そして、ほとんどの音楽という行為は、この前提に含まれるシステムによって司られている。もしわれわれが、こうしたなかば自動化されたシステムによらないで音楽をしたいなら、その音楽をなりたたせているシステムそのものを検討せざるをえなくなる。
 音楽についての思考を精密におこなう試みが重要であることはまちがいではないのだが、もうひとつ、自動化された音楽生産の回路からのがれ、音楽行為そのものを精密にする試みもまた、じゅうぶんに意味深いだろう。「深く音楽をする」というタイトルにはそんな意味をこめている。

 前述の「音楽を共有するためのルール」とは、そもそもはそれぞれの音楽文化におうじて異なるローカルなルールである。もちろんそのようなローカルなルールは、人びとの移動や交流によって伝えられ、混淆しあい、また新たなローカルなルールへと発展してゆくことだろう。このルールのあり方が大きく変わるのは、音楽学という学問が出現し、なんとはなしにヨーロッパの視点を中心としたグローバル化へと向かいはじめてからである。このグローバル化は西洋近世の音楽の成立とともに、姿を変えながら発展してきたものだ。
 最初はヨーロッパの中心における音楽とその周縁の音楽を差異化することから始まり、芸術音楽と大衆音楽、ヨーロッパ音楽と非ヨーロッパ音楽、絶対音楽と世俗的音楽など、つぎつぎと差異化を進め、ついにはすべての音楽を欧米的・資本主義的な視点から包合する「ワールド・ミュージック」という視点にまで達した。
 「アフリカ音楽」という音楽はアフリカにはない。その土地にはその人びとの音楽があるだけだ。名前もない。「アフリカ音楽」は欧米人が、ある地域の音楽をひとつのくくりにして差異化をおこない、作りあげたものだ。かくして、人びとは「アフリカ音楽」というものを実体化してとらえるようになり、初期ハリウッド映画のなかでのように、西アフリカもマグレブもない、太鼓を叩いて精力的に踊るといった「アフリカ音楽」のイメージをばくぜんともつようになる。
 その後、民族音楽学が出現したとき、西洋の芸術音楽以外の世界のさまざまな人びとの音楽が平等な視点でながめられることが期待されたが、民族音楽学という発想そのものが、最初からヨーロッパ外の音楽との差異化から始まったものであり、この平等主義はどこかで差別主義へと変わらざるをえなかった。このあたりは、最近のカルチュラル・スタディーズ寄りの民族音楽学においては、大きな問題点として議論が始まっているが、いまはここまでにとどめておこう。

 こうしたグローバル化のコンセプトの中心にあるものはなんだろうか。いまのところ私は、これはけっきょく「ヒューマニズム」という言葉で表現できるのではないかと考えている。このような考えを私がもつようになったのは、1960年代から始まったポストモダンの思想、とりわけミシェル・フーコーの哲学の影響ゆえであることは確かなのであるが、同時に私が日々、音楽に接しているなかでの切実な実感からでもある。
 私が考えるこの「音楽におけるヒューマニズム」とはおおざっぱにいえば、次のような信念によるものである。

  • 人間は基本的に身体において同じつくりであるように、心的にも同じなりたちをしている。
  • 音楽は表面的には、文化によって差異はあるものの、深層においては共通である。
  • ゆえにひとは異文化の音楽も理解しあえるようになる。

 これらのことは、いっけん疑義をさしはさむことに意味がないようにみえるほど、当然のことと考えられるかもしれない。でも、視点を変えてみると、人間は心的にはそうとうに異なっている。エモーションがその文化のなかでどうマッピングされているかは、地域や時代によってかなり違う。たとえば、「わびさび」などといっても、江戸期以前の人にとってはなんのことかわからないだろう。ケチャに興じているバリ人が、その音楽は明るいか暗いかと聞かれても、きょとんとすることだろう。
 しかしながら逆に、これらのことを明確に否定できるのかといえば、それもできないだろう。人の心にはもちろん共通な部分があるし、民族音楽学者ジョン・ブラッキングのいうように音楽に共通性を措定することには、私も賛成である。異文化を理解する努力も、いうまでもなくたいせつだろう。ただ同時に、こうした素朴なヒューマニズムには、おたがいに理解しえないことについての配慮がどうみてもとぼしすぎよう。つまり、哲学者エマニュエル・レヴィナスのいう、われわれ自身が他者というものを作り出し、その了解においてどうしても暴力性を介在させてしまうという、その痛みの感覚が、ここにはみじんもない。その結果、平板でおおざっぱな人間理解や、音楽のとらえ方がひとり歩きし、ヒューマニズムというひとつの簡便なイデオロギーにまで発展して、人びとを動かしている。私が問題にしているのは、このようなおおざっぱな音楽の感性のあり方である。
 タレントさんがいっしょうけんめい走れば、地球はよくなるという単純な信仰と似て、音楽の感動といっても、涙を誘うその場かぎりのセンチメンタリズムにおちいりやすい。そんなことはジャーナリズムや商業主義のなかだけの話だといわれるかもしれないが、しかしながら、それが音楽文化全体にまで敷衍され、音楽消費だけにとどまらず、音楽教育や音楽療法のような世界においてもこのイデオロギーが色濃く力を発揮していることを、私はどうしても放置することができないのである。

 音楽において情動が重視されるようになるのは18世紀ごろからだろうか。バッハの受難曲では、キリストの苦悩や悲しみが音楽として表現されている。それは、キリストもまた、われわれと同じように感じ考えるという人間観なしにはなしえなかったものだろう。そういった感性が拡張され、いまでは情動言語化されたポップスの和声進行にまで発展した。つまり、同じような情動効果を得るために同じような和声進行が繰り返し使われるようになったのである。そして、音楽とは一義的に情動にかかわるものであるという信念が普遍的原理となり、ジャーナリズムにおいてのみならず、音楽心理学などの学問や音楽療法の基礎の形成にまでかかわっていたりする。
 情動言語化された音楽語法はとても使いやすい。中世の時代の対位法を学ぶことにくらべたら、ポップスのコード進行を学ぶことはどれほど簡単なことだろう。多くの人がバンドを始めてほどなく、オリジナル・ソングを作れるようになるのも、このテクノロジーの発展のおかげである。
 私はそれらすべてを具合が悪いこととばかりとらえているつもりはない。ただ、このヒューマニズムが音楽のもつ可能性のある部分を、おおいに疎外しているのではないかと考えているのである。

[参考文献]
 レヴィナス、エマニュエル:『レヴィナス・コレクション』、筑摩書房、1999
 ボールマン、フィリップ:『ワールドミュージック/世界音楽入門』、音楽之友社、2006
 Agawu, Kofi: Representing African Music, Routledge, 2003
 Clayton, Martin (ed.): The Cultural study of Music, Routledge, 2003

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