◎連載
【1】ヴァン・モリスン&チーフテンズ 《アイリッシュ・ハートビート》1988

ケルト音楽名盤再訪 (おおしまゆたか)

ヴァン・モリスン&チフテンズ《アイリッシュ・ハートビート》

 このアルバムをリリースと同時におそるおそる聞いたとき、まず浮かんだのは、そんなに悪くないじゃないか、でした。不安のどん底での最悪の予想からはずっとマシなものに聞こえたのです。ジャケットでも、知名度において比較にならないほど大きなヴァン・モリスン一人が目立つこともありません。かれはロック・スターというよりは、むしろ、チーフテンズのメンバーの一人に見えます。まるで近所のオジサンたちという風情です。とはいうものの、諸手を挙げて傑作だと快哉を叫べるほどのものとも思えませんでした。

 あまりにも耳タコの定番のうたをならべた選曲、リズム&ブルースやジャズをベースにしたヴァン・モリスンのシンギング・スタイル、それにベースやドラムスが入ったバックの編成。

 こうした要素はそれまでアイリッシュ・ミュージックに多少とも親しんでいた耳には、ひどく場違いに響きました。他ではまず味わえない斬新な試みを喜ぶ心と、なじんだ暗黙の了解を踏みにじられたことを哀しみ怒る心が同居していました。

 今ではこのアルバムは愛聴盤の一枚ですが、告白すればこの二律背反の想いはいまだに消えてはいません。聞きかえす度に、どこかおちつかない気分になります。ひょっとするとこのおちつかないところ、二律背反の想いを引きおこすところが、このアルバムの魅力の源泉かもしれません。

 例えば〈ラグラン・ロード〉です。適切なテンポをとるのが、なかなか難しい曲です。それがどうでしょう。感興の赴くまま、詞の一節を繰り返すヴァン・モリスン。メロディを自由に展開して即興でうたうヴァン・モリスン。フレーズごとに発声を変えるヴァン・モリスン。思う存分うたいまくると「おうるらい」とバンドを促すヴァン・モリスン。

 これはまさに絶好調のヴァン・モリスン以外の何ものでもありません。このうたは無数の人がうたっていますが、ここでのヴァン・モリスンの歌唱は文句なくベストです。

 ところがアイリッシュ・ミュージックから見た場合、このヴァン・モリスンは、アイリッシュ・ミュージックの「掟」を残らず破っています。こんなうたい方はありえない、ぶち壊しだ、とアイリッシュ・ミュージック・ファンは頭を抱えてしまったのです。

 ヴァン・モリスンはリズム&ブルースやジャズ、ソウルなど、ブラック・ミュージックを自分の伝統として身につけ、うたっています。その伝統ではうたい手がうたの化身となり、うたの感情をまといます。聞き手はうたい手が表にあらわす感情に共鳴します。聞き手が受けとる感情は、うたい手の表現するものに巻きこまれ統合されます。

 アイリッシュ・ミュージックではうたい手はうたを通す筒です。アイリッシュ・ミュージックにとっての理想のうたい手は透明な声だけの存在です。うたの感情は聞き手の心の中に入ってから点火されます。聞き手の心の中にもともとある、共鳴する要素に火が点きます。聞き手が受けとる感情は、各自の内に秘められ、表に出ることはあまりありません。これに慣れた耳には、ヴァン・モリスンのうたはシンガーの存在が強烈すぎたのでした。

 そこでアイリッシュ・ミュージック・ファンは、自分のなかの矛盾に悩むことになりました。これはいったい何だ。アイリッシュ・ミュージックか。ヴァン・モリスン・ミュージックか。こんなうたい方があっていいのか。こんなドラムスやベースがあっていいのか。こんなリズム処理はチーフテンズ本来のものでもなければ、アイリッシュ・ミュージックのものでもない。でも、このうたは、音楽は、すばらしいじゃないか。これをいったいどう聞けばいいのだ。

 そういう矛盾をなんとか解けないかと、もう一度聞くことになります。一度や二度聞いたくらいで解ける矛盾ではありません。というよりも、聞くほどに矛盾はますます存在感を強くしてゆきます。ついには相反する気持を味わうこと自体が快く感じられる、そんな気にさえなります。ヴァン・モリスンのうたはそれほどにすばらしい。だからまた聞く。それを繰り返しているうちに、ある日、ふと気がつきます。

 アイリッシュ・ミュージックのルール? 掟? そういうものはほんとうにあるのか。あるとしても、誰かが警察となって、違反者を取り締まってるわけじゃない。そうではなく、アイリッシュ・ミュージックのルールや掟は、それを担う人間一人ひとりが参加して決ってゆくものだ。ここに全身全霊でうたうシンガーがいて、そのうたが圧倒的な説得力で迫ってくる。アイリッシュ・ミュージックかどうかという前に、この音楽は最高だ。これをアイリッシュ・ミュージックと呼ぶ人がいるならば、それはそれでいいじゃないか。

 こうして、このアルバムは、アイリッシュ・ミュージック・ファンが自ら閉じこもっていた蛸壷から、ファン自身を解放する役割も果たしたのでした。むしろ、アイリッシュ・ミュージック・ファンは、籠もっていた蛸壷がこのアルバムの衝撃で木端微塵にされたときに、初めて自分が蛸壷に籠もっていたことに気がついたのです。

 こんにちこのアルバムはヴァン・モリスンにとってもチーフテンズにとっても傑作とされています。ヴァン・モリスンとチーフテンズの共演をあやしむ人もいません。けれども20年前の発表当時、チーフテンズのファンつまりアイリッシュ・ミュージックのファンがこの組合せに抱いた不安の大きさは、思いおこすだに異様なほどのものでした。両者を知るほどに、それぞれの音楽を愛するほどに、不安は大きくなりました。その二つが組んだ衝撃を何に喩えましょうか。マドンナがニューヨーク・フィルと共演してブロードウエイ・ミュージカルのスタンダードをうたう、というのはどうでしょう。いや、その方がまだ可能性は大きそうです。

 いったいチーフテンズとヴァン・モリスンが一緒になって、何をやるのだ。ヴァン・モリスンはロック歌手だ。のはずだ。が、チーフテンズがチーフテンズである以上、フェアポート・コンヴェンションやムーヴィング・ハーツにはなりえない。ヴァン・モリスンがアイリッシュ・ミュージックをうたうのか。まさか〈アーサー・マクブライド〉なんかやってるんじゃないだろうな。確かにポール・ブレディを乗りこえられるシンガーがいるとすれば、ヴァン・モリスンしかいるまい。

 それともチーフテンズが4ビートを刻み、ブルースを奏でるのか。想像しただけで世界が軋み、時空に亀裂が入るのが感じられる。

 ヴァン・モリスンのファンにとって不安はなかったにしても、不審な想いは否定できなかったでしょう。このチーフテンズというのは何者だ。新しいバック・バンドか。しかし、ヴァンは自分のバック・バンドに名前をつけても、アルバム名義に入れたことはない。「&」は本来対等な関係を表す。ヴァンに対等な扱いを受けているのはなぜだ。

 え、トラッド? アイリッシュ・ミュージック? なに、それ? そりゃ、ヴァンはアイルランド出身だけどさ。じゃ、チーフテンズというのもアイルランドのバンドなの? で、何やってるの? カントリーかい。ブルーグラスに近いものか。じゃあ、今回は純アコーティック・アルバムなのかな。〈アンプラグド〉がブームになるにはまだ早すぎるよ。ここんとこ、ヴァンもなんか調子悪いからなあ、そんな得体の知れない連中と組むとなると、ひょっとするとほんとうにヤキがまわっちまったのかねえ。

 そう、ヴァン・モリスンがこれに先立つ時期に絶好調であったなら、このアルバムが生まれなかった可能性は小さくありません。ヴァン・モリスンはチーフテンズと組むことによって、シンガーとしての魂をつかみなおしました。これにつづく《アヴァロン・サンセット》以後の四部作に漲るエネルギーは、 80年代のヴァン・モリスンには望むべくもありません。

 ではなぜ彼はチーフテンズと組んで、アイリッシュ・ミュージックに「起死回生」を賭けたのか。そこには、折から盛りあがるワールド・ミュージック、すなわちユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタに代表されるシンガーたちの台頭が底流となっていたにちがいないとする見方に、ぼくはこのアルバムを聞きかえすたびに、ふかくうなずきます。

 そしてチーフテンズはこのアルバムによってブレイクしました。世間はチーフテンズの音楽がアイリッシュ・ミュージックだと信じました。実をいえば、このこともこのアルバムを聴く時の想いが複雑になる理由の一つです。なぜならチーフテンズがアイリッシュ・ミュージックのバンドだとしても、アイリッシュ・ミュージックはたった一つのバンドで代表できるような単純なものでも小さなものでもないからです。パディ・モローニはすべて自分の手柄のように言いたがりますが、それはアイルランド人独特のホラ吹きの現れでもあります。

 ただ、このアルバムを企画した時のパディ・モローニが危機感に駆られていたことは確かです。1980年代のアイリッシュ・ミュージックは低迷していました。有力な新人も現れず、ベテランたちもどちらへむかえばよいのか、わからなくなっていました。経済の悪化でアメリカに移住するミュージシャンも相次ぎました。おかげで一時アメリカでアイリッシュ・ミュージックが大いに盛りあがったほどです。

 チーフテンズ自身、行きづまってもいました。このアルバムを作る前に、チーフテンズは中国に行き、地元のミュージシャンたちも巻きこんで《IN CHINA》のアルバムを作っていますが、これも閉塞状態を打開しようとする試みの一つです。ヴァン・モリスンと組むことは、チーフテンズにとっても清水の舞台から飛びおりる覚悟が必要でした。ドラムスとベースの採用にあらわれているように、それまでのチーフテンズのスタイルを捨てることでもあったからです。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。チーフテンズはこの時、他の誰もがなしえなかったことをやってのけました。そして突破口を開いたのです。

 ここにアイリッシュ・ミュージックをめぐる環境は一変しました。学生時代にはぼくがアイリッシュだ、スコティッシュだと騒ぐのを鼻で笑っていた友人が、このアルバムが出てしばらくして、「チーフテンズっていいねえ」とのたまわったものです。

 そしてその変化に呼応するように、これを魁として、「ケルティック・タイガー」と呼ばれたアイルランドの経済成長をバックに、エンヤ、『リバーダンス』、映画『タイタニック』などのヒットを推進剤として、アイリッシュ・ミュージックは世界音楽の中に地歩を固めてゆくことになります。

 アイリッシュ・ミュージックの内部においても、新しい動きは始まっていました。蓄えられたエネルギーが吹きだそうと蠢きはじめていました。そのひとつは北からの風でした。アイルランド北部のドニゴールは、それまで「忘れられた」地域でした。アイリッシュ・ミュージックの中心地の一つとされている今では信じられないかもしれませんが、これもまたこのアルバムから始まる変化の一つです。

 そのドニゴール出身のフィドラー兼シンガー、マレード・ニ・ムィニーとベルファスト出身のフルーティスト、フランキィ・ケネディがプロとして出発したアルバム《アルタン》を発表するのは、このアルバムの前年。このアルバムをはさんだ2年後《ホース・ウイズ・ア・ハート》をリリースして、新たなバンド、アルタンは奇蹟の三段跳びへの助走を開始します。

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