◎連載
第8回 モーリス! 不能の愛

音楽・知のメモリア (小鍛冶邦隆)

 モーリス・ラヴェル(1875-1937)は、しばしばドビュッシー(1862-1918)と同様、フランス象徴主義の作曲家として扱われる。しかしながら19世紀末から20世紀初頭のベル・エポックの風土を共有しながらも、彼はドビュッシーの死後(第一次世界大戦後)から、第二次世界大戦にいたる両大戦間のモダニズムを生きた作曲家でもある。
 ビック・バンドを思わせる有名な《ボレロ》(1928)にかぎらず、それぞれ両手と左手のための2つのジャズふうのピアノ協奏曲(1929-31、1929-30)、ディズニー(アニメ)ふうのオペラ=ファンテジー・リリック《子供と魔法》(1920-25)などの作品に刻印された、1920年代という時代──絶え間なく生まれ消費される今日の国際的な都市文化の原型ともいえる時代──の祝祭の記憶をここに留めおくとしよう。

機械愛の時代

 1905年、5度目のローマ大賞に失敗したラヴェルは、友人エドワール夫妻の豪華ヨットで河川をさかのぼり、ベルギー、オランダ、ドイツを訪れる。ベルギーとドイツの工業地帯はラヴェルをして「この精錬の砦について、この灼熱したカテドラル、ベルトの動きや汽笛や激しいハンマー音の素晴らしいシンフォニーに浸されているのを、どのように語ればよいのでしょうか。空は見渡すかぎり赤く、焼けるような深紅色でした……これらすべてが音楽的です! これをたぶん使おうと思っています」と書いている。
 第一次世界大戦のおよぼした深刻な影響をとどめる《ラ・ヴァルス》(1919-20)でも、まさに操業中の工場の狂躁的なノイズであるかのような開始部分、分奏するコントラバスの凝集音(アグレガ)状の持続が、ヨーハン・シュトラウスふうの享楽的なウィンナ・ワルツへと変容し、ベル・エポックの終焉を思わせる自滅的なエロスとタナトスの戯れを繰りひろげる。
 ラヴェルの音楽が、パリ国立音楽院で修得された伝統的(アカデミック)な音楽技法にもとづくものであるとしても、それらは特化した技術的観点(テクノロジー)から演繹される。ラヴェルの音楽の代名詞であるかのようにいわれる卓越した管弦楽法も、ほんらいベルリオーズ『管弦楽概論』(1844初版)にみられる科学的な分類・整理による楽器の扱い(概論)から、さらに各楽器の特定の技術的視点から可能な音楽表現を「技法(テクニック)」の名のもとに詳述した、ヴィドールの『現代管弦楽の技法』の出版(1904)に、多くを負っていることからも明らかであろう。
 複製可能なテクノロジーが創造の契機になる以上、そこには消費されるモードとしての記号性が必須のもととなる。ワルツ(ヴァルス)という時代遅れゆえのキッチュなモード性が、特定の拍子(3拍子)の変形──3拍子ゆえの、いっぽうの足の拍の重複としてのアクセントの移動(ダンスのファッション性)や、両足交互の動きによる旋回(ターン)としての2拍子の混交(ヘミオラ)、定期的な終止形(和声的カデンツ)の配置による並置的な形式(ステップ・パターンの組み合わせ)──に置き換えられる。ダンスほんらいの身体性(リズム)とパフォーマンスとしての音楽構造(旋律・和声)が、創作原理となるのである。さらにこうした方法が、今日のポピュラー音楽一般の創作原理でもあることは、いうまでもない。

実験・治癒としての創作

 ラヴェルにとって、逆説的ではあるが、管弦楽法とはかならずしもオーケストラ的な可能性を前提に実施されるものでのない。
 前述したヴィドールの著作は、5度にわたるローマ大賞の試みにみられるような平凡な管弦楽法(ほとんどの評伝では、保守的なローマ大賞獲得のための、ラヴェルの偽装を想定しているが、保存されている課題作品全体からみるかぎり、当時の彼のもっていた管弦楽法の知識はかなり限定的なものといえる)から、画期的なピアノ曲集《鏡》(1904-05)の第3曲〈洋上の小舟〉の管弦楽化(1906初演、1950出版)にみられるような、大胆で実験的な試み(ラヴェル自身は試みと考えたゆえに、同作品は生前出版されなかった)への進展に、重要な役割をはたしたといえよう。《水の戯れ》(1901)以来の、リストふうの多様なアルペジオの合成から生じるピアニスティックな音響性に満ちた〈洋上の小舟〉は、もっとも管弦楽化が困難なテクスチュアといえるが、ラヴェルにとり、それらはむしろオーケストラのメカニズムの新たな探究にとって好適な素材となったといえる。ラヴェルは、原曲のピアノ的音形の最小限の変形のみで、同曲の音響的テクスチュアから、管弦楽書法としての再構造化を試みるのである。ここでは、まさに汎用的なテクノロジーとしての管弦楽法の修得が問題なのである。そしてそれらはまた、オーケストラ音楽という伝統的ジャンルを規定してきた表現と技法の関係を、一時的に切断したうえで、ヴィドールの著作のタイトルでもある、「現代管弦楽の技法」という高度なテクノロジーが可能とする音楽の在り方として、ここで新たに探求されるともいえよう。
 管弦楽法がたんなる技法的役割を超え、創造行為の母体(マトリックス)として、実験的な工房となると同時に、不眠症のラヴェルを狂喜させたというヴィーネの表現主義的映画『カリガリ博士の診察室』(1919)同様、実験室=診療室(キャビネット)としての、今日における創造行為にみる、きわどく奇怪な時代精神の自己治癒的行為の基点、としての意味をももつにいたるのである。

反アカデミズムの神話、あるいは音楽のテクニクスとポリテクスによるエピソード

 5度にわたるローマ大賞の試み(1900-03、1905)の挫折は、ラヴェルの革新的な音楽語法にたいする、パリ音楽院のアカデミズムの無理解と排除が原因とされてきた。
 新進オペラ作曲家の登竜門としてのローマ大賞は、同時にパリ音楽院における和声法、対位法、フーガ、管弦楽法といった技術教育(エクリチュール)の目的をも明らかにしている。
 ドビュッシーが3度目の挑戦で獲得し、ラヴェル後にはメシアンが2度の失敗で断念したローマ大賞は、19世紀におけるパリ音楽院の教育行政(ポリテクス)の要であり、同時に消費としての音楽=オペラ制作にかかわる技術的規範(テクニクス)でもあった。
 14歳から30歳までの長期間(2年間ほどの中断がある)にわたってはいても、パリ音楽院在学中に、なんらの賞も獲得することが出来なかったラヴェルではあるが、とうぜんながらこうしたコード(規範)としてのローマ大賞獲得のゲームを楽しんだ。スキャンダルとなった、5度目の試みの予備審査での落選も、提出作品でみるかぎり、フーガにおける旋法的扱いと長7和音による終止(譜例1。審査員により3和音に訂正されている)、オーケストラ伴奏付き合唱曲《曙》における大胆な和声法(譜例2)は、《水の戯れ》(1901)、弦楽四重奏曲(1903)、歌曲集《シェラザード》(1903)といった、同時期の革新的な創作をすでに評価されていたラヴェルほんらいのものであると同時に、あえてローマ大賞獲得ゲームに(飽いたラヴェルが意図的に)規約違反をもちこんだ結果ともいえる。

譜例1 1905年、ローマ大賞予備審査フーガの最後の6小節(オリジナルは異なる音部記号による4段譜

譜例2 1905年、ローマ大賞予備審査合唱曲《曙》11~13小節
オリジナル・スコアからのリダクション)

 ちなみに、ほとんどの評伝において、このローマ大賞のスキャンダルでパリ音楽院院長を辞任したとされているテオドール・デュボアにしても、じつはすでに定年退任が予定されていた。このスキャンダルの結果、次期院長の有力候補であった作曲科教授シャルル・ルヌヴーがはずれ、ラヴェルの師で音楽院出身者でないフォーレが院長に選出されたが、かつて音楽院の作曲科教授ポストを、マスネ退任後にほかならぬフォーレが獲得した事情を考えれば、ラヴェルを巻き込んだ院長選の意外な展開も、おそらくはフォーレが出入りしていたパリ上流階級のサロンにおける、有力政治家、高級官僚夫人たちとの親密な交友関係に起因するところの(当時にすれば一般的な)、サロンを中心にした音楽行政(ポリテクス)が背景にあると考えられる。

音楽機械・不能の愛

 ラヴェルの個人的なセクシュアリティについては諸説がある。売春婦や周囲の同性愛者たちとの付き合いは、さまざまに語られてはいても不明である。
 ところで、筆者は新ウィーン楽派の伝道師でもあるルネ・レボヴィッツ(1913-72)による、なんとも無国籍なラヴェル作品の怪演を気に入っている(A Portrait of France, Chesky CD57)。《ボレロ》の複調的カコフォニー(不調音)による永遠に旋回する音色のメリーゴーラウンド、《ラ・ヴァルス》の自動演奏機械(オルケストリオン)の奇妙なアコーディオン的強弱による、悪趣味すれすれのデフォルメの果てに、暴力的な破局(カタストロフ)へと正確に到達するさまは、ラヴェルのセクシュアリティと二重写しに、音楽機械の不能な愛の行為すら連想させる。
 生命という時間性の創造から、機械(メカニズム)という生殖不能でありながら、永遠に複製を継続する行為への視点の移動は、芸術の名のもとに、同時代性という永続的な祝祭の日々を生み出しつづけるのであろうか。

回路・横断

 ドビュッシーの音楽にみるような、瞬間に依拠する断続的な形式に対して、ラヴェルの音楽は、しばしば同一のリズム・パターン(舞踊的リズムによりながらも、かならずしも身体性を喚起させない、機械的な連続・不連続)による回路(サーキット)としての構造が、発展のないスタティックな形式を保証するともいえる。
 たしかに瞬間の死ともいえるエロスの閃光が、あるいは虚構としての再生のためのタナトスが仕掛けられているとしても、ラヴェルの音楽では作品の個的な価値よりも、毎回の意匠(モード)の変換によりながら、けっきょく、回路としての創作ゲームが優先される。ラヴェルの父、ピエール・ジョゼフ同様に、怪しげな発明家・技師として、いっぽうでは生死を賭したギャンブル=ゲームに興ずるのである。
 また作品ほんらいのオリジナリティにしても、《ラ・ヴァルス》に特徴的なように、ピアノ独奏、ピアノ二重奏、さらに管弦楽という形態が、かならずしもオリジナル(原曲)とトランスクリプション(編曲)という関係として生じるわけではない。行程的には、たしかに2つのピアノ稿には、管弦楽化という高度なテクノロジー実践のためのプレ・オリジナル的位置づけがあるとしても、それゆえにこそ管弦楽化にかんしてもまた編曲としての、相互的な創造行為の横断・越境(トランス)が問題とされるのである。
 ラヴェルの音楽の意味は、バッハからストラヴィンスキーにいたる──今日のポピュラー音楽とも共通する──創造過程としての原曲と編曲の関係を提起しつつ、さらに今日における創作の意味をも照射している。

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